ちはら台の歴史

ちはら台の街が誕生した歴史

1. 事業の始まり

この街の計画は、当初大都市への人口集中、周辺地域のスプロール化現象(大都市郊外のまちなみの無秩序な拡大現象)等の都市の諸問題を解決し、計画的な街を建設していくことを目標に、昭和52年(1977年)に現在の独立行政法人都市再生機構(当時の日本住宅公団)によって事業が開始されました。その後、社会経済状況の変化に対応して、街づくりのテーマを「自然と都市機能が調和した街づくり」と定め、事業を継続していきました。平成元年(1989年)には、最初の街びらきが行われ、豊かなまちなみが次第に形成されていきました。


2. 事業の概要

「ちはら台」の街づくりの事業は、都市計画事業の「千原台土地区画整理事業」として行われました。街づくりのコンセプト(考え方)は、次の三点です。

  • 自然景観を活かした街づくり
  • 「住む」「働く」「学ぶ」「憩う」など多くの機能が調和した街づくり
  • 歩行者および自動車が円滑かつ安全に通行できる利便性の高い街づくり
  • 「ちはら台」は、この考え方に基づき開発が進められ、全体に落ち着きのある住宅地となっています。
  • 地区の西側の鉄道駅から地区の東まで、幅約12~20mの歩行者の専用道路「かずさの道」が約4km通っており、この道を中心に歩行者の安心・安全が図られています。また公園や緑地ともつながりが保たれて、豊かな自然や景観を楽しめるようになっています。
  • 土地区画整理事業にあわせて、周辺の河川整備や地区の中の公共下水道事業、上水道事業、CATV事業なども行われ、生活の利便性の高い街づくりが進められています。

3. 地区名称「ちはら台」の由来(名称の発祥)

「ちはら台」は、千葉市と市原市の両市にまたがっていることから、千葉市と市原市から一字ずつとり、ひろびろとした景観を感じさせる「千原台」とし、さらに親しみやすいように、ひらがなで「ちはら台」と表記することにしたそうです。


4. 事業完了から現在までの様子

「千原台土地区画整理事業」は、平成14年(2002年)に事業の終了である「換地処分」が行われ、街の形を作る事業は終わりました。平成20年4月には、この街に住んでいる人達で組織されている「ちはら台地区自治会連合会」の主催による「街びらき20周年記念イベント」が「かずさの道」を中心に行われ、沢山の人で賑わいました。「ちはら台」は現在でも、毎年住む人が増えており、これからも益々地域の重要な拠点として、発展していくことが期待されています。

※このコーナーの文章はじめ写真ほかの素材は、UR都市機構 発行の「CITY&CITY ちはら台
~ちはら台のまちづくり~(2002年11月)」パンフレットより抜粋して構成させて頂きました。